平野の伝承とくらし第10回(64 三角山・花園森・愛宕神社)

「平野の伝承とくらし」冊子 64 三角山・花園森 (P56)

64 三角山・花園森

 ③ 紺野 三郎
 曲屋・沼前・福内。井野目の4町内に囲まれて大小二つの山が並んで立っている。高い方が愛宕山、低い方の山が観音山。二つの山を合わせて『三角山』と昔から呼ばれ、観音山は別名『花園森』といわれていたそうです。その音、源義経が当地の“医王寺”を訪れたおり、その義経をもてなすために木や花を植えて鷹を放し、山をきれいに整えたことから『花園森』と呼ばれるようになったとも伝えられております。

 また、福島盆地(信達平野)を一望できる三角山の山頂には、菩薩像観音堂があり、その観
音堂をお参りする人々が鐘楼の鐘をつけば遠く平野の田園にその音色を響かせ、地区のシ
ンボルともなり得たと聞き及んでいます。

 さらに、三角山の登り口には苔むした岩肌に「山口庄右工門重久」の頌徳碑(優れた功績や
人徳を褒め讃えた碑)が建立されており、この碑は井野目堰の恩恵を受けた当時の村人が、
大正14年に建立したものだと記されています。

 『井野目堰』・・。三角山下の原野を開発し、水田にしようとしたこの灌漑工事は天保4年(1
647年)に始められ、12年あまりの歳月を要して、ようや<万治2年(1659年)に完成した
と記されております。
 現在のように重機械などの無かった時代では、全てが鍬や鶴嘴などの手道具であり、村
人たちの苦労は並大抵のものではなく、予想以上の困難があったことと思われます。中には
先行き不安で尻込みする者も現れましたが、村人は工事の完成を熱望し、その総意を花園森
の観音様に祈願したそうです。
 それは「この堰水が完全に通ったあかつきには、この地区には決して井戸を掘ることはい
たしません。流れの水に頼って過ごしますので、どうか一日も早く堰を完成させてください
ますようお願いいたします。」と心願の誓いを立てて観音様に懇願したと伝えられています。
 その願いが叶えられて万治2年の5月には、その堰水が清水のようにきれいにすんで流れ
出ました。その結果、井野目村(今の平野)として豊かな村造りが行われ、人々が幸せに暮ら
せるようになり、堰の名も『井野目堰』と名づけられ、現在もその恩恵を受けながら今日の平
野の繁栄があると言っても過言ではありません。

 三角山花園森の麓の人々が、この山に観音様の「御堂」を建ててお参りするようになった
のはそれから後のことになりますが、何時、誰が、どのように建立したのかは分かっておりま
せん。ただ、この地に住む人々が観世音菩薩を、美しい三角山花園森にお迎えし、心の拠り
所としてみんなで豊かに幸せに生きていこうとしたと、言い伝えられてまいりました。
 こうして、この地の観音様が『三角山花園森観世音菩薩』として祀られるようになり、現在
も井野目地区町内の皆さんによって春の祭礼が行われ、地区民はもとより多くの人々にお
参りいただいているところです。

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 弊社が撮ってきた追加写真(上段・中段2026/5/7撮影、下段2026/5/16撮影)です。

   鐘楼と奥に菩薩像観音堂

          菩薩像観音堂

  鐘楼 (眼下に平野の風景が広がります)

      三角山・花園森全景

三角山登口 中央石碑が頌徳碑

「山口庄右工門重久」の頌徳碑

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ここからは、弊社が、三角山の高い方の山、愛宕山の頂上に鎮座する愛宕神社・古峯神社について、撮った写真(2026/5/17撮影)等追加致します。

愛宕神社・古峯神社

  愛宕神社の春の祭礼は、4月の第3日曜日です。

     全景

     古峯神社

    古峯神社

  古峯神社井佐野講中の開始と終わり

  古峯神社鳥居を通して見た愛宕神社

      愛宕神社

     愛宕神社

  眼下に広がる平野の風景

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