平野の伝承とくらし 第3回(1 半世紀前のわがまち 平野)

「平野の伝承とくらし」冊子では、1番目(p1)

1 半世紀前のわがまち 平野
  (平成9年7月6日の社会参加活動の講話より)

 信達平野の一翼を担う、しかも春は緑に、秋は黄金につつまれた純農村地帯のわがまち
平野も、半世紀を過ぎた今日では、福島市のベッドタウンとして飯坂町唯―の市街地化とし
て変貌しているのが、わが平野のすばらしい姿であります。
 私は昭和26年4月から現在地(飯塚)に住んでいますが、当時はまだ平野村として福島~
飯坂間は街道一本で結ばれて、交通機関も自動車の排気に悩むこともな<、福島電鉄の電
車を利用するか二輪自動車で走るのみでございました。極めて健康には優位な方法であり
ました。
 最大の変革は何といつても、昭和44年、信夫山トンネルの開通により13号国道の改良で
東西が三分された平野地区に変わつたことであります。更に昭和50年4月開通の郡山~白
石間の東北縦貫自動車道によつて、大き<様変わりしました。
 私の自宅より南の眺めは一面田園地帯で、春は田植え、秋になると黄金に満ちた稲穂と、
刈り取られたあとの田園の眺めでした。高速道を走る車も目の前に眺めることができまし
た。国道~高速道の開通によつて、I字型になつた田園はすぐに市街地化として開発され、昭
和54~ 55年頃より平野団地・生協団地が造成されて、住宅の新築ラッシュが始まりまし
た。
 特に平野地区内の世帯数については昭和50年頃には1,500世帯であつたところが、5
年後には1,800世帯、更に5年後には2,100世帯と増加の一途を見ており、現在において
は団地の造成および茂庭ダムエ事による移転者を含めて2,600世帯と増加して、人口も9
700人を数える飯坂方部最大の地域となつております。
 前述のように移り変わりの激しい当地域も、住民のみなさまのさらなるご協力をいただ
いて、快適で住みよい、「わがまち、平野」であり続けることを願うものです。

                (平成9年度 平野地区自治振興協議会会長 佐藤要太郎)

  平野小史(平野小100周年記念誌「平野のあゆみ」より)
   ○ 三村時代・・・平塚村(明神・飯塚等)入江野村(古館・篭内等)
    (明治9年頃)伊佐野村(鯖野・井野目等)
   ○ 平野村になる・・・三か村合併する
    (明治22年)
   ○ 飯坂町に合併・・・昭和29年3月
   ○ 福島市に合併・・・昭和38年1月

   ※ 【参考】令和4年6月時点
      飯坂町平野地区 世帯数 3 763戸 人口 9,026人

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