「平野の伝承とくらし」冊子では、2番目(p2-3)
2 平野の変遷
○ 藤原氏の荘園(しょうえん:貴族やお寺松どが持つている土地) 佐藤―族の支配
○ 戦国時代(伊達政宗の時代)の村々
天文7年(1538年)の「段銭帳」によると平野は北郷(77村)に属し、
郷村名として
「入うの」。・・北郷で4番目に大きな郷村でありました。
「下入うの」
「ひら田」
「さはの」
の4村があげられています。
※ 「段銭帳」・…各郷の田畑に対して「永楽銭」で段銭(税の一種)を課しました。
○ 天正19年(1591年)伊達政宗が移された後の信夫・伊達両郡を与えられました。
蒲生氏郷の時代
文禄3年(1594年)「高目録」によると
「平田村」
「佐羽野村」
「入生野村」
「飯塚村」
の4村があげられています。
○ 慶長3年(1598年)上杉景勝(120万石)が会津若松城主として就封、信達地方を支配
慶長6年(1601年)米沢30万石に減封されましたが、信達地方はそのまま支配。
その時の「邑鑑」によると
「平田村」
「入江野村」
「佐場野村」
「飯塚村」
の4村があげられています。
○ 寛文4年(1664年)上杉氏の15万石削封により、信達地方は全て幕府領と強る。
「総検地」によると
「井野目村」(万治2年(1659年)井野目堰完成により誕生)
「佐場野村」
「平田村」
「飯塚村」
「入江野村」
の5村があげられています。
○ 延宝7年(1679年)~ 天保2年(1831年)まで、福島藩領―幕領一桑折陣屋支配
を繰り返しました。
○ 天保2年(1831年)
「入江野村」が「上入江野村」(足守藩領)と「下入江野村」(幕府領)に分けられました。
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(ここからは、弊社で、ここまでを図示したものを追加させてもらいました。また、明治以降
の変遷も文章では複雑でしたので、図に置き換えさせていただきました。)
graph TD
subgraph S1["🏯 戦国時代"]
V1["入うの"]
V2["下入うの"]
V3["ひら田"]
V4["さはの"]
end
subgraph S2["⚔️ 蒲生氏郷の時代"]
W1["平田村"]
W2["佐羽野村"]
W3["入生野村"]
W4["飯塚村"]
end
subgraph S3["🏰 上杉景勝の時代"]
X1["平田村"]
X2["入江野村"]
X3["佐場野村"]
X4["飯塚村"]
end
subgraph S4["📜 幕府領"]
Y1["井野目村"]
Y2["佐場野村"]
Y3["平田村"]
Y4["飯塚村"]
Y5["入江野村"]
end
S1 --> S2
S2 --> S3
S3 --> S4
戦国時代 --> 蒲生氏郷
蒲生氏郷 --> 上杉景勝
上杉景勝 --> 幕府領
明治以降の流れは以下の通りです。
graph TD A1["上入江野村"] A2["下入江野村"] B1["佐場野村"] B2["井野目村"] C1["平田村"] C2["飯塚村"] A1 --> E["入江野村 明治4年8月"] A2 --> E B1 --> F["井佐野村 明治9年6月"] B2 --> F C1 --> G["平塚村 明治9年6月"] C2 --> G E --> M["平野村 明治22年4月"] F --> M G --> M M --> N["飯坂町 昭和30年 1955年"] I0["飯坂村"] --> N I1["中野村"] --> N I2["湯野村"] --> N I3["東湯野村"] --> N I4["茂庭村"] --> N N --> O["福島市 昭和39年 1964年"] style M fill:#f9e4b7,stroke:#c8a400,color:#000 style N fill:#b7d9f9,stroke:#0066cc,color:#000 style O fill:#d4f9b7,stroke:#339900,color:#000


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